画家:田村香織さんに訊く

卒業生からのメッセージ

今回の卒業生からのメッセージは、ハマ美絵画コースから多摩美術大学絵画学科油画専攻へ入学し、後に東京芸術大学大学院絵画専攻版画研究室に進学して絵の研究を深めてきた田村香織さんからです。
受験期のこと、大学の課題のこと、そして今現在の作家としての活動のことなどなど、一歩先を歩く先輩からのお話です。

聞き手:絵画コース講師 伊藤明日香
図版 :夢遊シンドローム 2009 テンペラ 162.0×194.0cm

田村香織
2010年に多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業後、東京藝術大学大学院絵画専攻版画研究室にて学ぶ。在学中から活発に発表を行い、国内のみならず海外でも精力的に活躍している。一貫して「空想の動物」「自分の中の深層世界」をテーマとした幻想的な世界を、独学のテンペラ技法にニードルのようなもので削って描く独自の技法で描き続けている。

ー今日は作家の田村香織さんをお迎えして美術の話を様々な角度からお話していただきます。まず、田村さんの簡単なプロフィールを紹介しておきます。田村さんは高校2年生の夏・冬の講習会を経て、3学期に基礎科に入学。その後、高校3年生からは油画コースで勉強し、現役で多摩美術大学(以下多摩美)の油画専攻に合格しました。もともと志望校は東京藝術大学(以下芸大)一本だったのですが、当時指導していた先生から勧められ、多摩美も受験したという経緯です。ちなみに、芸大の入試では一次試験は通過、二次試験まで行ったのですが残念ながら不合格となり、多摩美に進学しました。多摩美卒業後は、芸大の版画研究室に進学し、2年間学んでいます…と、ここまで紹介してきて…他大学の大学院へ進むというのは非常に狭き門なので…、実はすごいことをやってのけていますね。では、田村さんの受験生の頃の作品がここにあるので受験時代の話から聞いていきましょう。

(アトリエ内の作品を見ながら)この作品は「枝豆と絵の具のチューブ」をモチーフとして渡された構成課題で、描画材は水彩です。時期は高校3年生の夏期講習会です。この時に、表現のヒントが見つかって楽しくなり、油彩でも同じようなことができないかと試行錯誤が始まりました。これ以前の作品は何の方向性もなくただ課題をこなすことを繰り返していて、絵を描くことがとても辛く感じていたのを覚えています。

ーこの「枝豆」の作品から大きく変わっていったんですね!
確かに、これ以降作品が一貫していますね。

(別の作品に移り)この作品は秋頃の2回目のコンクール(実技模試)の作品で、アトリエに入ったら天井から白い布がぶら下がっていてそれを自由に描きなさいという課題でした。私は布のシワを一生懸命描いたのですが、結果、1位の評価を頂きとても自信になりました。1学期の最初のコンクールでは批評すらされませんでしたから(笑)。これが大きな自信となり、他の作品もその流れで制作を続けていきました。当時は想定課題が好きで、自由度が高い方が私の作品スタイルには合っていると感じていました。

ー多摩美術大学の入試の課題は何だったのですか?

多摩美術大学はそれまで人物課題が続いていたのですが、私が受験した時の課題はモデル台は設置されていたのですが…正確な課題文は思い出せませんが「モデルは来ません。自分のイメージするモデルを描きなさい」という課題でした。正直、人物は苦手だったのですが、この時は思う存分描きました。

ー何を描いたの?

けっ…、毛虫を描きました…木の上を走る毛虫を(笑)。
自分のできることをめいいっぱいやりました!

ーそこは受験では大切なことですね。…毛虫ですか(笑)。
では、ここから大学の作品に入っていきましょう。

(スライドを見ながら)これは大学2年生の頃の作品で、ちょうどこの頃から絵を削って描くようになりました。サイズは50号弱…、正確には91センチ×134センチです。というのも、パネルを自分で作っているので正式なサイズではないです。素材はテンペラ絵の具で、その上から削って描き込んでいます。この作品が今の作品の原点です。

トークの中でたくさんの作品を見せていただいた。大きな作品にもかかわらず、その緻密さと繊細さには目を奪われる。

ー1年生の頃はこういうやり方ではなかったの?

1年生当初は受験の頃のような作品を作っていたのですが、続かなくなってきていて、作品批評会前日にすごく悩んで、描いていた絵が不満で黒く塗りつぶしてしまい、落ちていた釘でなんとなく削って絵を描いてみたところ、その表現がとてもしっくりきて…。暫く続けたのですが、油彩だとどうしても樹脂が邪魔をして細かいところまで削れないという問題が出てしまい、テンペラに変えていきました。

ーテンペラは授業で習ったの?

いいえ、誰にも習っていません。多摩美の図書館で技法書を見ながら、自分で調べて、濃度を調節したり実験を繰り返しながら自分の描きやすい絵の具の重ねや濃度を見つけていきました(一同驚く)。それでも上手くいくようになったのは大学2年の頃です。それなりに時間はかかりました。ただ、テーマは一貫していて「空想の動物」「自分の中の深層世界」というか、そんな感じでした。

ー受験生の頃から緑色が好きだよね。

緑色が制作過程の中で色々なことを発想しやすいんです。静物なんかでもそのままの色味だと描けず、グリーンだと形のリズムなど絵の中の出来事に反応しやすいんです。とても個人的な感覚なんですけど。

ーそういう感覚は私の中にもあるなぁ。それでは、ここでみんなからの質問に答えていきましょう。展覧会のことについていくつかあるのですが、いつ頃から展覧会を始めたのですか?

最初の展覧会は大学2年の冬です。学生対象でオークション形式のアートイベントが銀座であって、多摩美術大学、武蔵野美術大学、東京造形大学、東京藝術大学などの首都圏の美大生が70人くらい集まる展覧会の企画があり、友達が企画運営に携わっていて誘われたのがきっかけでした。そこから、いろいろなギャラリーとお付き合いが始まりました。その時に、銀座の泰明画廊の社長さんが気に入ってくれて、大学3年の時に泰明画廊で個展をさせてもらいました。

ーすごいですね!!みんなは知らないかも知れないけど、泰明画廊というのは銀座の老舗画廊のひとつで、有名な作家が多く関係しているよね。

そうですね。学生だったので最初は私も怖かったです(笑)。展示してたら、友達が私の展覧会場内に怖くて入っていけなかったって言っていました(笑)。その頃からどんどん忙しくなって大学3年生の時は作品制作、発表以外にも、次の年のアートイベントの運営もやっていたので学校にいたより外で活動していたイメージが強いですね。

ー他の同級生たちはどうだったの?

私のような活動をしていた人もいるし、アトリエで制作を中心にしていた人もいるし、様々でした。ただ私の感覚だと外とのつながりを学生のうちから持っておくことは重要かなと思いますし、私にとっては良い経験でした。アートイベントの運営も大御所のギャラリーの人たちと打ち合わせをしたり、協賛を募るため銀行や百貨店に電話したりなど、私に向いてないと思えることも経験しました。すごいストレスだったのですが裏方の仕事も経験できたことは大きな糧になりました。

ーなるほどねぇ。

この作品は卒業制作で130号の作品です。今、この作品はインドネシアのコレクターさんが所有しています。私の作品はスパッタリング(筆についた絵の具を指で弾き、スプレーのような効果で色をつける)をしながら描くので、手やアトリエなどとても汚れます。豚毛の筆に絵の具をつけて指で弾いているので、腱鞘炎になったりもするのですが、湿布を貼りながら頑張っています(笑)。もっといい方法はあるのかもしれないですが、私の場合、大学で学んだというより、教えてもらってできる器用なタイプではないので、自分で研究しながら少しづつ前に進んできたという感じで、今だに指によるスパッタリングをやっています。

ー大学院への進学についての質問も出ています。

学部卒業後はそのまま卒業と進学で迷ったのですが、今の実力で卒業してギャラリーと付き合っていくにはハードルが高いと感じたので、「あと2年は勉強しよう」と大学院への進学を決めました。多摩美の油画と芸大の版画の2つを受けて、結果、両方とも受かったので芸大の版画に進みました。美大進学を親に反対されていたので多摩美術大学の学費は奨学金で通いましたが、芸大の大学院の2年間はこれまでの活動などを親も理解してくれたので学費を出してくれました。奨学金は作品を売って返済、完済しました(一同驚く)。この作品は2回目のアートフェア東京に出品した作品です。大学院を卒業し、東京の東小金井に古い家を借りて制作していました。「深層心理」をテーマに作品制作を続けているのですが、この時期から海外に行くことが増え、私の絵を気に入ってくれたコレクターさんから、海外での経験をテーマに絵を描いて欲しいという要望があり、最初の頃より具体的なモチーフが絵に出てくるようになっていきました。

ー海外の話が出たので、留学とかの質問もあるのですがどうですか?

海外での展示の様子

海外で展示する機会が増え、幸い、多くの人と繋がりも持てたので留学の必要性は感じませんでした。ただ、2ヶ月だけ台湾でレジデンスがあったので片言での英会話でコミュニケーションをとって乗り切ったのはとても良い経験でした。友達はドイツに留学している人が多いような気がします。ヨーロッパはアーティストの地位が高いらしいですね。政治家の次くらいという話も聞いたことがあります。ただ、様々な面で文化も違うし、向き不向きはあるでしょう。行きたいという気持ちがあるなら、行動を起こすべきだと思います。向き不向きというのは後から分かることで、行ってみないと分からないですから。

ー展覧会が多そうですが、制作はハードそうですね。

台湾での公開制作の様子。個展だけでなくアートフェアやレジデンス(滞在型制作)など海外での活動も活発に行っている。

昼夜逆転するタイプで、夜描いて、朝の12時に寝る、ん?朝の12時じゃないや(笑)、昼に寝るという感じです。描き始めてしまうと寝ずに一気に2、3日くらい描いてしまうんです。展覧会はオープニングパーティーなどがあるので、初日に写真を撮ることが多いのですが、疲れ切った表情をしている写真が多いですね(笑)。

ーアーティストとしての生きがい、やり甲斐は?という質問がありますが。

言葉が通じなくてもコミュニケーションが取れるというのは気持ちがいいですね。文化や言葉が違う国などでも作品を通して拙い英語でコミュニケーションが取れることに喜びを感じます。私の作品は私自身の内面に向かう要素が強いので、展覧会などで多くの人から意見や感想を聞けることは大きな糧になっていて、次の作品へのモチベーションにもなっているような気がします。

ー制作が嫌になる時はありますか?という質問もありますが。

毎回、締め切り前は「もう辞める」という話をしているのですが、2、3日すると描きたい意欲が戻ってきます。ネガティブな考えが出てくる時や瞬間はありますが、最終的にはいろいろなことをプラス方向に考えさせてくれるのが絵ですね。それが続いている大きなところかもしれません。それから、私は不器用なのでこれしかできないという思いがあるのですが、そういう意味でもモチベーションを保つことは重要で、内に向かう作品と言いましたが、このところ作品の内容を社会や人との関係、繋がりをイメージして取り組むことも多くなっています。

ー最後に受験生の時はどうでしたか?やはり辛いことなどもありましたか?

うーん、辛いこと…。人物画。(笑)
自分向きの課題の時は楽しいんですけど、そうでない課題が人物は多くて、自由度が少ない課題は苦手でした。あと、3年生の前半は描きたい絵が見つからず辛かったのを覚えています。それでも、基本、楽しく絵を描きたかったので、どういう絵なら気持ちよく作品と向き合えるのか一所懸命探していました。

ーみんなもこれから勉強していくにあたって、どういうタイミングで作品のヒントが見つかるかわからないわけで、もしかしたら既に何かヒントがあったかもしれないし、そういう探しものじゃないけど、その辺りもちょっと意識しながら日々の制作をしていると、何かいい出会いがあるかもしれませんね。田村さん、今日は長い時間ありがとうございました。

田村 香織
Kaori Tamura

1987.9 横浜で生まれ横浜で育つ
2006.4 多摩美術大学絵画学科油画専攻入学
2010.3 多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業
      卒業作品で福沢一郎賞を受賞
2010.4 東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻版画研究室入学
2012.3 東京藝術大学大学院修了
2017.12~2018.1 DALI ART 国際藝術村にて滞在制作(台湾・台中)
2007年~ 個展・グループ国内外にて多数開催