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聞き手:絵画コース講師 伊東明日香

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水戸部 七絵(みとべ ななえ)

神奈川県生まれ。
2011年名古屋造形大学造形学部洋画コース修了
現在、東京と千葉を拠点に活動。

近年の主な展示
・個展「I am yellow」(2019年/ Maki Fine Arts)
・「高橋コレクション展 アートのふるさと」(2019年/ 鶴岡アートフォーラム)
・「高橋コレクション 顔と抽象―清春白樺美術館コレクションとともに」(2018年/ 清春白樺美術館)
・「アブラカダブラ絵画展」(2017年/ 市原湖畔美術館)
・個展「APMoA, ARCH vol.18 水戸部七絵 DEPTH - Dynamite Pigment -」(2016年/ 愛知県美術館)
・個展「水戸部七絵」(2016年/gallery21yo-j)
・個展「ABRAHAM」(2014年/LOOP HOLE) など。

ー本日はハマ美のOGである、作家の水戸部七絵さんをお迎えして、ご自身の活動についてさまざまな角度からお話していただきます。まずは自己紹介からどうぞ。

横浜美術学院には高2生から通い、大学は名古屋造形大学で勉強しました。卒業後は東京の町田市で3年間作家活動をし、今は千葉にアトリエを移し今年で7年目になります。千葉に移った当初は50坪ほどのアトリエでしたが、今のアトリエは非常に大きく、300坪ほどの敷地の中に一軒家と100坪程の工場跡があり、そこをアトリエにし制作をしています。
作品は主に人の顔をモチーフにポートレート作品を制作しています。近年の活動ではMaki Fine Artsという神楽坂のギャラリーでの個展と、高橋コレクション展や各地方の美術館等で展覧会をやらせていただいています。

ー水戸部さんは横浜美術学院の出身で基礎科から在籍して油画を受験し、名古屋造形大学に現役で合格したんですね。

受験した学校は複数あったのですが、受かった大学は名古屋造形大学だけでした。名古屋といっても東京で受験できたので…、実は大学に通うまでは、一回も名古屋に行ったことはありませんでした(笑)。

ーここに水戸部さんの予備校時代の静物画の作品があります。受験期はどんな感じでしたか?

これは6時間くらいの課題でしたが、6時間もかからず、とても短い時間で完成したと思います。この頃、モランディがとても好きで模写をたくさんしていて、その延長で描いた絵です。
当時は浪人生たちの受験の情熱についていけないところがあり、油絵が描きたくて油画科に来たのに苦手なデッサンをしたりとか、どうしても、受験で問われる絵が描けなくて苦しい時期がありました。芸大の入試ではデッサンの出題が自画像だったのですが、当時、顔を描くことが苦手だったので、てんてこ舞いでした。

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水戸部さんの受験生の頃の作品。

ー受験で問われる絵が個々に合う合わないというのは、あるでしょうね。

予備校で話すのもなんですが、私の場合、受験の絵が染み付いていないことが大学で自由に制作ができたことに繋がっているようにも思います。受験時代のことでは、皆さんにお話しできるようなことはあまりないのですが、浪人することも迷っていました。そこで、当時の講師に相談したところ、私の場合、受験に時間を費やすより大学で自由に作品制作した方が良いということになり、名古屋造形大学がどういう学校か知らなかったのですが受験に踏み切りました。

ー知らずに受験というのは…。実際、大学に通って印象はどうでしたか?

大学での最初の課題が1ヶ月間で30号の静物油彩でした。私にとってはありえないと感じてしまいました。というのも、受験期は課題がタイトで、毎日違う絵を描くような環境だったので…。大学の教授に真面目にやってほしいと抗議しました。

ーえっ!

教授に「耐えられないので辞めます」と…。

今思えば当然なのですが、教授に「結果を出すのが早すぎる」と言われ、翌週、大学に長谷川繁というアーチストが来るので、話を聞いてみたり作品を見てもらうなどして大学での制作活動を考えなさいと言われました。そこで初めて現役で活躍している作家と話したり、作品も見せてもらったのですが、とても大きな作品で刺激を受けました。その時に言われたことが「お前もでっかい絵を描け!」でした。そこから、課題とは別に自主的にアトリエで描きたい絵を自由に描いていたので、辞めずに4年間通い続けることができました。
また、大学2年の頃、今、芸大の教授でもあるO JUNさんの個展の搬入を、Galleria Finarteというギャラリーで手伝ったりしたのですが、それを切っ掛けに多くの作家を知っていくようになり、活動の幅が広がっていったように思います。

大学時代に先生や多くの作家たちと出会ったことが大きいようですね。

名古屋は東京と比べるとギャラリーが少ないので、月に1、2回は東京に夜行バスで戻っていました。最初にアドバイスをもらった作家の長谷川繁さんが、当時、東京でギャラリーもされていたので、そこを中心に作品発表や、ポートフォリオを作って画廊回りなどしていました。

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水戸部さんの作品やアートイベントについてスライドを通して紹介していただいた。

ーそれは大学2年生くらいからですか。

そうですね。もともと関東なので東京の事情には興味がありました。予備校の仲間が浪人して勉強していたので、現役で大学に行っていることに焦っていたこともありました。

ー大学生が浪人生に対して焦るとは…。当時は浪人する生徒が多かったからね。

ただ、そういうコンプレックスは大学生活の中で薄れていきました。1年生の頃は友達を作る意味がないと思っていました。名古屋造形大学は良くも悪くも予備校色の強くない学生が多く、まぁ、上手な学生がいないのです。でも、2年生あたりから、そういった作品の良さに気づき始めたというか、面白いと思うようになり、自分たちの自主企画で仲間を集めて展覧会をやったり、O JUNさんたちも誘って「99人展」という展覧会をやり、その流れで、卒業した頃には誰でも参加できる形の展覧会を企画し、「460人展」という展覧会を企画しました。名古屋だけでなく、東京や各地方の人と交流が持てればという意図もありましたし、プロの作家や美術館関係者と人脈を広げたかったという狙いもありました。

ー入学時、友達はいらないと言ってたところから大きな変化ですね。

そうですね。極端なんですよね(笑)。

大学では「絵画とは何か」ということを、考え、整理し、ルール付けをしたりなど4年間ひたすら制作を通して試行錯誤していました。3年生の時は半年ほど、苦手だったデッサンに取り組みました。というのも、絵画のことを考えすぎて、実際の物の凄さに危機感を覚え、あらためて目の前の物と向き合い、約半年ほどデッサンに取り組みました。

ただ、自分にとっては受験のデッサンしか知らなかったので、あらためて真摯に物に向き合うということは新鮮で大きな経験でした。そして、その取り組みがポートレート作品のきっかけになり、マイケルジャクソン…、(生徒に向かって)みんなマイケルジャクソン知っているのかな?

ーそれは知っているでしょう(笑)。

話が飛びますが、マイケルジャクソンが亡くなったんです。その頃。で「This is it」という映画ができたんですけど、その映画が衝撃的で、マイケルジャクソンをモチーフにして描いてみようと…。それが最初のポートレート作品です。

ー自発的に大学で学んだことを、ちゃんと作品にしているのですね。

自分の中の気になることや苦手なこと、それから出来ること、そういったことが理解できてくると行動がとりやすい。デッサンの勉強をしてあらためて、私の場合は色彩と質感が強みだと感じ、そこを中心に制作しています。

ー色々な出会いやきっかけは作品にとって大切ですね。
では卒業後の話をお願いします。

学生時代は、名古屋という街が東京に比べ「Painter(絵画)の街」という感じがあって、そのおかげで絵を描くことを疑わず大学4年間を過ごすことができました。(卒業して)東京に戻ってからは映像や写真、彫刻、インスタレーションなど様々なジャンルの作品に触れる機会も増え、(絵画を描き続けてこられた)それまでの環境が恵まれていたのだと知りました。というのも絵画は発表場所も、それに纏わる賞も多くあり、美術の中で高い位置づけというか…、作品のジャンルによってはアートに成り得るのかという所からスタートしている作品もあり、証明が難しいところで活動している作家とたくさん知り合うことで、絵画は美術の中で恵まれているのだと、改めて感じたのです。

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ー確かにそういった側面はあるかもしれませんね。作品が売れる売れないということは気になりますか?

作品は売れないものという前提で制作していたというか、先輩たちからそう教わったところもあり、(売ることにこだわるより)制作し続けることを大切にしろと教わったので、あまり、売れる売れないということは気にしていないと思います。私より下の世代はSNSの活用や、中にはプロデューサーを付ける若い作家も多くなっているようですけど。

ただ、どの展覧会に出品したいか、など具体的な目標を持って制作はしています。最近、愛知県立美術館に作品がコレクションされ、これは私の目標でもあったので、これからどうするか思案中というか、夢や目標が叶うと悩みますよね。欲深い人間なので(笑)。

ーどのように活動していきたいのかを考え、イメージしているんですね。

そうですね。
ここから作品の話というか流れですが、2014年にアメリカに滞在していて、先ほど話に出てきたマイケルジャクソンの肖像や多くのセレブの肖像作品を制作していました。もともと顔を描くことにコンプレックスがあって、苦手克服のため顔を描くことにチャレンジしたいといった理由と、有名人の力を借りて描くことで何か面白い作品ができたらという思いで描いていたのですが、ネバダの砂漠でテント生活をしながらイベントに参加していた時、何もない砂漠で自分の作品が解放されたというか、目、鼻、口を描かず顔を抽象化して表現するアイデアが生まれ、そのことが私にとって純粋に作品に向き合うきっかけになりました。

私の作品にとって正面性は重要な要素なので、顔を正面から、特徴はなるべく排除した中で制作しました。作品が重くて壁にかけられないので(絵の具が落ち、崩壊する)、そういう意味では成功しているとは言えないですが、この方向性で作品を繰り返し制作していくことで、今の作品につながっていきました。最近はベストなサイズを探しながら制作をしている感じです。作品が1トン近い重さのものなどあるので、展覧会の会場にはクレーン車で運んだりしています。活動を愛知県が認めてくれて、作品をコレクションしてくれたという評価は大きな糧になっています。 

ー水戸部さんの作品はとても大きいですが、使用する絵の具はどうされていますか?

最初の頃はチューブ絵の具を使用していました。大作用の絵の具というのは150~200mlくらいで、それをチューブから予め全部絞り出すのですが、1日300本ぐらいが絞り出す限界でした。その量を絞るとペットボトルの蓋も開けられないくらい握力がなくなり、皮膚も痛くなるので、最近は某メーカーさんから一斗缶の絵の具を買って制作しています。ただ、普通は一斗缶で買えないので、ここは交渉です。高額になるので様々な助成金を使用したり、企業に直接電話をしてスポンサーしてもらうなど、営業をして絵の具代に充てています。

すばらしい行動力ですね。しかし、この絵の具の量は…(笑)

作品は厚塗りをイメージして作っていたわけではなく、基本、無計画です。実は、さらっと絵の具を置いて完成した絵もたくさんあります。個人的には同じことを繰り返すと飽きてしまうので、スタイルはいろいろ模索しています。常に新鮮な気持ちで作品に向き合えないと制作は苦しくなってしまいますし、作品も良いものにならないと思っているので。

ー顔を描くことが苦手だったといっていましたが、モチーフに顔を選んでいる理由はなんでしょうか。

もともと自分自身にコンプレックスがあり、顔は嫌な対象だったんです。マイケルジャクソンの映画が顔をモチーフにする一つの切っ掛けではあるのですが、良い時、悪い時、整形崩壊など様々なことを経て崩れたといわれる状況も含めて美しいと感じたんです。今では顔はコンプレックスの対象ではなく、様々なことの外交的要素を含んだ魅力的なものなんだと感じてモチーフにしています。
最近はコロナの影響で展覧会なども中止になったので、アトリエで実験的に絵日記のような作品を作っていて、SNSなどにあがるデモの写真や世界の情報をモチーフに、自分の日記というより世界の日記という意識で制作もしています。

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水戸部さんの最近作
Picture Diary 202048油彩 顔料 麻布 木製パネル 110×131cm

ーなるほど。皆さん何か質問はありますか? 
生徒:作品に使用している絵の具の量がすごいのですが、絵の具が乾かないとその上にさらに乗せていくことが難しいと思うのですが、絵の具はどのように乾かしているのですか?

最初の頃は描いた絵を壁にかけていると翌朝には絵の具が落ちているということがよくあって、短い時間で描き上げるのではなく長い時間をかけて自然に乾かしながら描くことに変わっていったのですが、基本、制作中に絵の具を乾かすことは気にしていません。ただ、絵画の意識は強いので完成した作品は壁にかけたいという思いは強いです。もし絵の具が支持体から全て落ちたとしても私は構わないと考えていますが、最近の制作は平置きで制作することばかりではなく、壁にかけたまま制作している作品も多いです。制作が最優先なので、作品を長い期間どう維持するかということは自分では考えていないです。うーん、答えになってないかな?(笑)

ーいろいろな話が聞けて面白かったです。受験生のこの時期に、作家の生の声というか野心というか、そういうものも含めて聞けたのはとても良かったと思います。今日は長い時間ありがとうございました。
(拍手)