
講評だから見えた、大切なこと
こんにちは、基礎科です!
美術を学ぶうえで欠かせない「講評」。作品をずらりと並べて講師がコメントをしていく中で、制作中とはまったく違う視点から気づきを得られる貴重な機会です。
私自身も学生のころ、講評のたびにハッとさせられることが多くありました。講師になった今も、「講評だからこそ伝えられること」があると感じています。
今回は、そんな講評の中から、特に印象に残っている「講評ならではの学び」を3つご紹介します!
「家の人に見せてみなよ」
ある静物デッサンの講評で、先生がこう言いました。
「みんな、家に帰ったらこの絵、家の人に見せてみなよ。
形とか材質とかがちゃんと伝わるなら、それは描けてるってことだよ。」
それを聞いた瞬間、自分の絵を見返して、なんだか急に心もとない気持ちになったのを覚えています。
講評の中で問われたのは、「絵を客観的に見られているか?」ということでした。
見る人は、モチーフがどんな形でどんな材質だったのか、何も知らない状態で絵を見る。 その時に、ちゃんと伝わる絵になっているか? 伝えたいと思っていることを、実際に伝えられているのか?
「伝わる絵」を描くということが、どれほど大切かを考えさせられた講評でした。
「この絵が舞台だとしたら、主役は誰なのさ?」
これは構成デッサンの講評の時の話。 「光と影をテーマに描きなさい」といった自由度の高い課題で、さまざまな絵が並んだ時、先生がこんなふうに言いました。
「この絵が舞台だとしたら、主役は誰なのさ?」
「絵は、お芝居と同じ。
舞台の中に主役がいて、準主役がいて、脇役がいる。
主役が一番かっこよく見えるように、他の役者が演じるんだ。
脇役が大声でしゃべってたら、肝心のセリフが聞こえなくなるでしょ?」
この話を聞いてから、絵を描くときに「主役は何か?」「伝えたいものがブレていないか?」を常に意識するようになりました。 絵の中で、何を一番に見せたいのか。それを引き立てるために、他の要素をどう配置し、どう抑えるのか。
表現の芯を持つことの大切さを学んだ講評でした。
やられた、と思った日。
ある日の講評で、年下の生徒の作品がピックアップされ、「こういうことだよ」と紹介されました。
その作品は、とても丁寧で、誠実に描かれた静物デッサン。
その瞬間、 「ああ、自分は余計なことばかりしていたな」 と痛感しました。
ちょうど絵を描くことにも慣れてきて、タッチをどうしようとか、表面的な見せ方ばかりに気を取られていた時期。 でも大切なのは、もっとシンプルで誠実な「観察と表現」だぞっ!と殴られたわけです。
技術的なことではなく、「姿勢」の部分を問われた気がしました。
初心を忘れていたことに気づかされた、忘れられない講評です。

講評にはヒントが詰まってる
講評は、ただ評価を受けるだけの時間ではありません。
自分では気づけなかった視点にであい、制作の軸を見つめ直すきっかけになることもあります。
みなさんも、よきヒントに出会えますように!